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寒い!
by 札幌窓辺のねこ
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Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4291796.jpgスペインでマニエリスムからロマン主義時代にかけ、
宮廷画家として活躍した巨匠と言えば、
エル・グレコ(1541-1614 )、ベラスケス(1599-1660 )、
ゴヤ(1746-1828 )。
エル・グレコはフェリペⅡの治世、ベラスケスはフェリペⅣ、
ゴヤはカルロスⅢ。
エル・グレコは決してフェリペⅡに気に入られていた訳ではなかったらしいが
(まあ、あの画風では豪華な城を飾る豪華な絵画には相応しくないだろう・・・)、
色々事情があって結局宮廷画家の地位に就いた模様。
ゴヤの時代には既にスペイン王家はハプスブルクではないし、
彼について語るならまた別の機会にじっくりと時間を割きたい所なので
此処では触れない。
手元に日本語版プラド美術館の図録が有るのだが。
(これを買った当時はまだスペイン語は全くできなかったので、日本語版を購入した。
美術館の図録は日本語版がオリジナルより高かったり良くなかったりする事があるので、
そういう時はオリジナルを買う様にしている。)

確か、ベラスケスに依るフェリペⅣの肖像画はもっと沢山あったはずなのに、
1枚しか載っていない・・・・そんな馬鹿な!
勿論、図録は全ての作品が載っている訳ではないから
掲載リストからはずされた作品もあって当然なのだが、
目玉の一人のベラスケスなのに、余りにも少ない。



※注釈の無い物は全てプラド美術館蔵。
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4352021.jpg
この絵は図録では“スペイン王カルロス4世”となっている。・・・・おかしい。
顔もどう見てもフェリペⅣだし。
このThe Web Gallery ArtでもフェリペⅣ扱いになっているし、
図録が間違っているのだろう・・・・。

Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_437374.jpg
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4373436.jpg
@National Gallery, London
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_43845.jpg
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4382825.jpg
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4385333.jpg
@Frick Collection, New York
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4391476.jpg
@Kunsthistorisches Museum, Vienna
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4402452.jpg
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4411318.jpg
@Museo de Bellas Artes, Bilbao
フェリペⅣ、決してハンサムではない。
特にぼってりした唇が特徴的で、“Habsburg lip”と呼ばれているらしい。
ハプスブルク家の遺伝的特徴なのは兎も角、
どうも現代医学的には矯正の必要な悪い噛み合わせの一つらしい・・・・。

そして“Las Meninas”の絵の中にも
フェリペⅡと二人目の妻マリアナ・デ・アウストリアの姿が描き込まれているのは
余りにも有名な話である。
Alatristeで歴史!そのⅢ、と言うよりベラスケス。_d0032633_4413516.jpg

フェリペⅣは初め仏王アンリⅣの娘イザベルと結婚、7人の子供を儲けるが、
うち5人が早世、イザベルも1644年に亡くなる。
その後マリアナ・デ・アウストリアと1649年に再婚、
5人の子供を儲けるが成人したのはうち2人。
再婚するのは別に珍しくはないのだが。
イザベルとの結婚生活が特に短かった訳ではない。
1615年に結婚したらしいので、30年弱だ。
という事はマリアナとの再婚はかなりの晩婚?
いやいや、フェリペⅣは1605年生まれなので、再婚したのも39歳の時。
つまり、初婚は10歳の時・・・・・。
・・・・昔の王侯貴族の早婚はよく聞く話だし、しかも欧州に限った事ではないが、
今まではあまり気にしてはいなかった。
だが10歳とは。
因みにイザベルは2歳年上だった。
そしてマリアナは1634年生まれ。
そもそも彼女はフェリペⅣとイザベルとの間に生まれた
バルタサール・カルロスと婚約していたらしいが、
カルロスが1646年に亡くなってしまったので、
その父親と14歳で結婚したという事になる。
では、スペイン・ハプスブルク家が皆早婚だったのか?と確認。
カルロスⅠ(1500年生まれ)1526年にイザベラ・フォン・ポルトゥガルと結婚。
フェリペⅡ(1527年生まれ)1543年にポルトガル王女マリア・マヌエラと初婚。
フェリペⅢ(1578年生まれ)1599年にマルガレーテ・フォン・エスターライヒと結婚。
カルロスⅡ(1661年生まれ)1679年にマリー・ルイーズ・ドルレアンと結婚。
他の王はそうでもない、やはりフェリペⅣの早婚ぶりが出色。

映画ではアラトリステの愛した女優María de Castroが
フェリペⅣに気に入られてしまうが、
それは実際に存在した女優María Calderonがモデルとなった逸話なのだろう、
庶子も存在している。
by micak | 2009-02-22 04:48 | 雑学
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