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寒い!
by 札幌窓辺のねこ
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何故、葡萄牙? Vol.1
何故、葡萄牙? Vol.1_d0032633_5563458.gif昨年11月末、そろそろ今回のヴァカンスのアウトラインが固まってきた頃。
“葡萄牙、葡萄牙と騒ぐ割には一度も言及した事無いわよね”と母。
何の事かと思えば、檀一雄の事であった。
その頃、瀬戸内寂聴さんが連載“奇縁まんだら”として日経新聞に檀について書いていたのだった。
それを読んだ母が突然話を振ってきたという訳だ。
“葡萄牙は小さい国だけれど、見所は満載だからね。
いつものんびりしたスケジュールだし、有名な観光地を網羅している訳ではないし。
・・・でも、実は今度の渡葡で、そのサンタ・クルスに行ってみようかと”
そうなのだ。
葡萄牙にも過去7回足を運んでいるが、
欧州に行く時は一箇所に一泊しかしない様なスケジュールは基本組まないし、
勿論大都市になると連泊するし、自分の興味の赴くまま行くので、
景勝地を全て制覇なんて事は一生かかってもできそうにない。
まして一度の旅が数ヶ月ならば兎も角、通常3・4週間の短い期間・しかも一年に一度では
あちこち周るのにも限度がある。
そして欧州の国々は長く複雑な歴史と文化があり、
訪れる価値のある町や村は星の数、しかもリピートしたくなる所も多いのだ・・・。
という事で、“えーっ?そんなに何度も行っているのに○×はまだ見た事無いの?”と
ツアー旅行者に驚かれそうなのである。
落日を
拾いに行かむ
海の果て
と、檀は刻み残した。
何故、檀も自分も或いは少数の葡萄牙を愛する者達はこの地味な小国に惹かれるのだろうか?



それについては今までも何度も触れてはいる。
料理もワインも言語の響き(ブラジルとは違う)もサッカーも歴史もポウザーダも魅力だが、基盤となるのは人と自然だろう。
ポルトガル人のラテン系にしては控え目で大人しい、少し照れ屋で素朴で暖かい性質。
しかもさり気無くプライドも高く、結構頑固・・・な所は自分の性質と被る。
真面目で一種の勤勉さを持つ・・・今も働き者の印象は損なわれてはいない。
自分をあまりアピールしない分、他人に譲るのだろうか、人当たりが柔らかく感じられる。
意外と外国語が上手いとか、闘牛では牛を殺さないとか、南米の攻略のし方がスペインと違うとか、
そうした所にもこの優しさが滲み出ているのではないかと思うのは浅はかだろうか?
ではその優しさは何処から来るのか?
昔から様々な人種が交じり合って・・・と言うのなら、他のロマンス語国も同様だから
あまり人種的なものだとは思わない。
むしろ環境だと思う。
“suave”という言葉がある。イタリア語では“soave”なので、ワインの名で周知かと思う。
ポルトガルの気候風土の特徴を表すのに相応しい言葉の一つだと思う。
穏やかで心地良く、温和で柔らかいのだ。
英語の“soft”では意味の幅が狭い。仏語の“doux”でも少しニュアンスがずれる。
やはり、この“suave”なのだ。肌触りや空気感も伴う。
実はいつも寒い季節に行くので、夏の暑さがどれ程厳しいのかは体感した事がないのだが、
少なくともスペイン南部の暑さに比べると、穏やかな様子だし。冬は当然温暖。
湿潤な国ではないのは確かで、岩がむき出しの低い山や丘もしばしば見掛けるが、
やはりスペインの様な“果てしなく乾いた大地”の絵は無い。緑が多いのだ。
日本の様に険しい山岳も、勿論無い。
“ポルトガルは自然が豊かで美しいのですよ”と言うと、大抵の人は意外そうな顔をする。
確かにそれは有名ではない。確かにポルトガルの自然はイグアスの滝やミニヤコンカの様にダイナミックではない。
だが、冬でも延々と続く緑の田園風景、なだらかな斜面にのんびり草を食む羊達、
オリーブやコルク樫やアーモンドや薫るオレンジの木々、
足元に香る小さな花々、蜜を求める蜂、頬を撫でるそよ風、真っ青な高い空、雄大な大西洋、満天の星空・・・・
そうした中に居て、どうして豊かな自然の恵みを感じずに居られるだろうか?
寒さの中で凍死する心配のない所で暮らす人々は、それだけでも幸せだと思うのだ・・・。
我々寒い国の人間は生き延びる為に必死に闘わなければならない、いや、ビジネス的にという事ではなく、
もっと原始的なレベルでの話だが。
闘う為に人は攻撃性とか厳しさとかそういった強さを持たざるを得なくなる。
だが、こうした暖かくて穏やかで豊かな土地ならば、人は一つ大きな心配をしなくて良い訳だ。
それは一種の“ゆとり”となり得るだろう・・・・。
その豊かさと元来の勤勉さでかつては大航海黄金時代を築いたが、
あまり頑張らなくても心地良く暮らせるものだから、その後取り残されたのでは?と思うのである。
優しさも政治的に見れば諸刃の刃だという事だろうか・・・人を蹴落としてまで勝とうとするガッツが無いと言おうか。
ともあれ、その優しさが文化にも表れ、建築物もしばしば荘厳と言うより優美で繊細でチャーミングだったりする。
男性的と言うより女性的と言うか。
その優美でデリケートな所がまた、良い。
沢山の種類の緑や花が何時も身の回りに在るので、その微妙な色の違いを表現する言葉を持っているのだ、彼等は。
更に、此処はユーラシア大陸の末端である。
初めてポルトガルを訪れた時、ロカ岬に行きたいと思った。
行って海に落ちる夕日を見たいと思った。
果たしてバスは丁度日没の頃岬に着き、
劇的な日没と多くの女達の涙が刻まれた十字架をマドレデウスの“O Mar”を聴きながら眺めていると、
胸が締め付けられて言葉を失う。
“地の果て”という意識が常にあるというのは大きいと思う。
その昔、特にカトリックの人々にとって意味は大きかったと思う。だから、必死に祈る。
海から人間の限界を、非力さを、運命には逆らえない事を知る。
けれども生きていかねばならない。だから、祈る。
愛する者を海に奪われたという具体的な悲しみだけではなく、
そうしたペシミスティックな一種の無常観とも言える様な哀しみが、彼等の暖かな微笑みの一角に住み着いていたりするのだ。
“saudade”という言葉がある。今やポルトガルを表す代名詞だ。
だが、これを訳すのは難しい。
単に寂しいとか懐かしいという意味でも使う。
望郷の念ともノスタルジアとも言う。
だがポイントはいずれにしても“ちりり”とした心の痛みが伴う事だ。
貴方が居なくて悲しい。故郷を離れていて寂しい。懐かしい故郷の家は楽しく幸せだった。昔は良かった。
それらの思いは、愛する者や物が今、この手の中に無い哀しみを表す。愛と喪失感。
そして逆らえない運命、“fado”。
“saudade”は海が人々に教えた観念の上に成り立っていると思う。
“地の果て”ではない他のカトリックの国々には、“saudade”に相当する言葉は、無い。
・・・謙虚さや、無常のセンスも若干持ち合わせ炭火で焼いた塩振り魚を食らう彼等と
謙虚である事を美徳とし、諸行無常の仏教的観念が思想のベースにある我々日本人とシンパシーを覚えても別に不思議は無いように思うのだ。
そんな人々の手に依る料理が口に合わないはずは無く、そんな彼等のサッカーに於けるスタイルが嫌いなはずがない、
という訳だ。
by micak | 2008-02-24 05:58 | 旅行・地域
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