トップ

寒い!
by 札幌窓辺のねこ
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
カテゴリ:十字軍( 14 )
久々に、十字軍、そしてAix-en-Provenceの紋章。
今回のヴァカンスもまた、“歴史”に触れる旅だった。
カタルーニャ&南仏蘭西に於ける、古代ローマの遺跡の数々。
アヴィニヨンの話。
また、自分の無知を思い知らされ、勉強したい欲求がむくむく。
それは兎も角。
d0032633_484631.jpgロマネスク美術・建築を見るのも今回の目的の一つだったので、
バルセロナ滞在中に、Ripoll(スペイン語ではリポール、カタルーニャ語・カタランではリポイ)という小さな町を訪れた。
Monestir de Santa Maria(サンタ・マリア修道院)のファサードを観る為に。
そのファサードの凄さは勿論だが、聖堂内を見学していて気になる事が。
ここには、Ramon BerenguerⅢの墓と、その息子RamonⅣの碑文があるのだが。
息子の碑文にエルサレム王国の紋章が入っているのだ!
をを!久しぶりに十字軍!!と、胸ときめく。
でも、当然、その時は詳しい事は何も分からず、帰る。・・・・後から調べよう。

d0032633_4173627.jpg更に。
Aix-en-Provenceの市庁舎の前を通りかかった時、
掲げられている街の旗が目に入った。
“?”
・・・・ここはカタルーニャではない。プロヴァンスだ。
なのに、何故、旗に馴染みのカタルーニャ模様(赤と黄のストライプ)が入っているのだ?
しかも、またエルサレム王国紋章が入っている・・・。
うーむ。これまた調べなくちゃ!!

で、軽く調べてみた!
[PR]
by micak | 2007-01-20 04:19 | 十字軍
ちょっと待て!家系図Ⅲ。
昨日に引き続き、快調にギィ・ドゥ・ルジニャンGuy de Lusignanについて調べようと。
ところが。
Guyの兄のAmaury(Amalric) II de Lusignanは・・・・うー。シビラの異母妹イザベルと結婚して、1198年からエルサレム王になっている!
一人目の奥さんはあの、アニェス・ドゥ・クルトネイAgnès de Courtenay?二人目の奥さんはIbelin家?
(3人目がイザベル。)
えーっ??アニェスと結婚したのが1158年?それって、AmauryⅠと結婚した年なんですけれど・・・。重婚??
えーっ???つまり、AmauryⅠと別れたり、シビラ&ボードゥワンⅣの二人の子供にうんざりしていたっていうのは、
愛人(?)AmauryⅡの存在が原因ってワケ?
うーん、こっちの資料では彼女は3回結婚したことになっているけれど、
あっちの資料ではAmauryⅡとの結婚は載っていない。
で、彼女の娘シビラはAmauryⅡの弟・Guyと結婚・・・ひぇ、ぐちゃぐちゃだ・・・。
Guyの事を書こうと思ったのに、その兄及びアニェスが凄い・・・・。
特に、アニェスってなかなかドラマな女だったのか!
・・・・やはり、シビラ&イザベルそしてアニェスと、この辺りのエルサレム王国の女達というテーマで小説もしくは映画作ったら、たいそうどろどろぐちゃぐちゃした、面白い物ができそうだ!

いや、興奮していないで、話を戻そう。
ユーグ・ドゥ・ルジニャンHugues VIII de Lusignan(1110-1165)
ルジニャン家はリモージュLimoges辺りの貴族らしい。
う・・・。傍にアキテーヌの文字が見えて困るのだけれど。
今、ここでアキテーヌも絡めてしまうと、話が大きく成り過ぎる!!
なので、アキテーヌはスルーすることにして。
  ・1157年に(1140年という説もあり)Bourgogne de Rançon, dame de Fontenay, fille de Geoffroy de Rançon et de Falsifie, dame de Moncontour(“名前”が無くて、お気の毒・・・)と結婚。
子供は6人もしくは7人・・・。
 ⑤-a)Hugues de Lusignan(1141-1169)
長男なので、家督を継ぐ。
 ⑤-b)Amaury II de Lusignan(1145-1205)
   ・1158年にAgnès de Courtenay(1133-1184)と結婚?
   ・1175年にIbelin家のEschive fille de Baudoin seigneur de Rama(-1197)と結婚、5人の子を儲ける
   ・1197年にIsabelle de Jérusalemと再婚、キプロスChypre・エルサレム王となる(在位1198-1205)
 ⑤-c)Geoffroy de Lusignan(1150-1224)
ジャファJaffa及びAscalonアスカロン、もしくはセザレーCésarée伯(在位1186-1193)
   ・1200年頃、Eustache de Chabotと結婚、一子を儲ける
   ・1202年頃、Humberge de Limogesと再婚、一子を儲ける
 ⑤-d)Guy de Lusignan(1159-1194)
   ・1180年にシビラと結婚、約1186年から1年間エルサレム王となる。翌年のハッティーンの戦いの敗戦で、エルサレム王朝が一時途絶えるのは、既知の通り。
1170年代に兄AmauryⅡ・Geoffroyと共に(例の、次男以下の男子は騎士として家を出されたってやつかな?)エルサレムに来る。
1190年にシビラの死によって王権を失うと、それをイザベルに譲り、キプロスに退く(在位1192-1194)。

あ、あとの子供のうち一人は早死に、もう一人は坊さんになったらしい・・・。

d0032633_5145764.gifエルサレムではなく、キプロスでのルジニャン家の紋章。・・・獅子って、アキテーヌ?
やっぱり、こうこの頃の十字軍を調べていると、リチャード獅子心王の存在は無視できない。
アンジュー家絡みという点からも。すると、やっぱりアキテーヌがどうとか、プランタジネットがこうとか、やらなくちゃならないよね。フランス王家のみならず、英国王家も。
面白いけれど、嗚呼、大変だ・・・。
[PR]
by micak | 2005-07-22 03:58 | 十字軍
アマルフィ。
で、その“伊太利亜縦断1200㌔”に登場したアマルフィ。
ナポリに滞在していた時、エクスカーションで訪れたものの、
凄い嵐で大変だった、アマルフィ。
気候の良い時に、再度訪れたい・泊まりたいアマルフィ。

何故、そのアマルフィが十字軍カテに登場するかと言うと。

番組中、街のシンボルが出てきた。
街の歴史を誇りに思う、住民のペンダントに。
レガッタで戦う旗に。
d0032633_794919.gif

これが現在の街の紋章らしいが、
気になるのは、勿論、この十字。
ペンダントや旗になっていたのも、この十字。
そう、見覚えあるじゃないですか!
ホスピタラーこと聖ヨハネ騎士団の十字、マルタの十字。
聖ヨハネ騎士団は。
9世紀半ば、当時最も地中海貿易で活躍・繁栄していたアマルフィの商人達が、
巡礼者の為にエルサレム郊外に病院兼宿泊所を建設したのが基となっている。
という事で、しっかり繋がっているワケだ。

・・・うん、歴史って凄い。歴史って面白い。
[PR]
by micak | 2005-07-21 07:23 | 十字軍
家系図Ⅱ。
さて。久しぶりに話をKOH登場人物に戻して。
主人公周辺以外ではレイモンⅢを一番先にやる辺り、ジェレミー・アイアンズ贔屓の表れらしい。

d0032633_558012.gifレイモン・ドゥ・トリポリRaymond III de Tripoli(1140?-1187)
父親RaymondⅡとボードゥワンBaudouinⅡの娘との間に生まれた。家はToulouse ou Raimondine(トゥールーズもしくはレイモンディーヌ家)・・・元々はトゥールーズの出身の家か。
メリザンドMélisendeという姉もしくは妹が居た模様。
1174年に、ガリレーGaliléeもしくはティベリアードTibériade(Tibérias)の王女エシーヴ・ドゥ・ビュールEchive de Buresと結婚している。GaliléeもしくはTibériade(Tibérias)の場所は、前のヒストリカル地図参照。
因みに彼女にとっては再婚(またか・・・!)。
前夫ゴーティエ・ドゥ・サントメールGautier de Saint-Omerとは1174年に死別しているので、旦那が死んですぐ、Raymond IIIに乗り換えたのね・・・。
Raymondには子供が無かったらしく、エシーヴの連れ子を養子にして、後を継がせた模様。
1187年、肋膜炎で亡くなっている。
(・・・なんてあたりもまるでジェレミーにぴったりな、設定!・・・って、これは史実であって、設定ではないのだけれど・・・。)

因みに、彼の子孫とIbelin家子孫は婚姻関係を持つようになる。
まあ、ありがちな話だけれど・・・・。
この家は↑この紋章のはずなのだけれど、映画中に登場したかどうかは、不明。
嗚呼、早くDVDで細部を観たい!

今、某TV局でオンエアされている、“伊太利亜縦断1200キロ”で、
ナポリの説明の際、“アンジュー家”なんて言葉が聞こえてしまった為、
だらだらアンジュー家について調べてしまい(これがまた、超膨大・・・。)、
今夜はもう、ジェレミーだけで時間切れ!(だから。ジェレミーじゃなくって、レイモンっ!!)

久しぶりにWikipedia、十字軍の頁を見てみたら、凄い内容が増えている!
やはり、映画の影響なのだろうな。・・・ああ、また後からじっくり読み直してみなくちゃ。
[PR]
by micak | 2005-07-21 04:30 | 十字軍
“アラブが見た十字軍”。
大学の図書館に行ってみた。
今までなかなか行くチャンスが無かったのだが、
十字軍関係の本、欲しい物を全部買っていたら大変なので、
できれば借りたいな、と。まず、ネットで図書館にあるのを確認できた、コレ。
巷の評判でも、良い本らしいし。
残念ながら、あまり十字軍関係の書物は無かったのだが・・・・
電動で動く書棚に感動したり、PCが何台もあったり、司書さんが何人も居たり、
色々感動しつつ。
“返却日は来年1月2日です。”
“はい、分かりました、どうも!”
え?
来年??
最大限に感動。いよっ!太っ腹!!流石、大学図書館っ!!!
市立図書館と違って、ゆっくり読める♪・・・って、失くさない様に気を付けなくっちゃ。

でも、まだ時間が無くて、紐解いていないのだけれど。
ぱらぱらやってみると、うわ、面白そう!知っている名前がぞろぞろ。わくわく。

で。
早速一つ、前に書いた事で違う点があったのを発見。
5月23日の記事で、バリアンがサラーフッディーンと交渉したのがハッティーンの戦いだと書いたが、それは間違い。
フランク軍が敗退してルノー・ドゥ・シャティヨンが処刑されたのが、ハッティーンの戦い(7月4日終了)で、
バリアン・ディブランが陣頭指揮を執り、後にサラーフッディーンと交渉したのがエルサレム陥落(解放)(10月2日)の前。
あの投石機カタパルトが活躍した激しい戦いは、ハッティーンの戦いではなくて、エルサレム攻防戦、ということだ。

        カタパルトCatapult。Balisteとも言うらしい。
d0032633_532968.jpg

なーんだ、映画はとっても正しかったのね。
因みにルノー・ドゥ・シャティヨン処刑の前の水を飲むシーンというのも、本当にあった話らしい・・・・。

もう既にKOH映画の公開は終ってしまったが。
先日も新聞に、“アラブを斜めに見ていない、良い映画”という記事が載っていた。

なんだか色々こうして調べていくうちに。
かつてはやはりキリスト教寄りで(いや、キリスト教芸術を深く愛しているから、まだ充分キリスト教寄りだ・・・。)、
よく知らないイスラム教に恐れや近寄り難さを抱いていた、時には嫌悪感さえも。
それなのに、最近では随分イスラム寄りになってきたものだ。
・・・・ロンドンのテロのニュースで、“イスラム教”という言葉が耳に入る(しかも頻繁に)その度に、痛い・・・・。
確かに、テロリストは断じて許せない。
だが、何でもかんでも悪い事はイスラムのせいにし、
イスラム教徒を皆悪者扱いし、邪悪呼ばわりするのは、止めて欲しいな。
ブッシュさん、この本読んだかな。読んでいないなら、読んで欲しいな。
[PR]
by micak | 2005-07-09 05:06 | 十字軍
Amalric/AmauryⅠの結婚。
昨日一昨日と信じられない位突然暑くて(特に昨日!)、
エアコンにも当たって、疲れたから、調べ物はしないでおこうと思ったのに。
うっかり、Wikipediaのホームページを開いてしまったら、
“Today's featured article”に十字軍の話が・・・・。
というワケで。

AmauryⅠがどういう理由で2度結婚したのか?
いや、当時も別に再婚というのは珍しい事ではなかったみたいだが、
多くは戦争や病気で夫を失った女性の話。
しかもその二人の女性が、またよりによって二人共Ibelin家と再婚。
うーむ。

Amaury Ier de Jérusalemアルムリックは Agnèsアニェスと1157年に結婚した。アニェスは1150年にÉdesseエデッサの西方が失われて以来、エルサレムに住んでいた。
Foulque d'Anjou父フルクに近親結婚を反対されたので、彼等はフルクの死を待っていたようである。


ふーん。近親かぁ。アルムリックはAnjouアンジュー家で、エデッサ伯国(1098年に設立された王国。現在のシリア北部とトルコの境目辺り。前の例のヒストリカル地図の右上端の方。)皇女アニェスはCourtenayクルトネイ家のはず。
と、家系図を見ると。曽祖父がアンジュー家の人と結婚している。
両家は親しかったのかな?
いや、対立していたかも知れないが、ともあれ、出会う機会は多くあった、ということだろう。
まだ若いアルムリックは、純粋に彼女を気に入っていたのかな?
(それとも、この時代のこうした家柄、“純粋に好き”など、在り得なかったかな?)
・・・ところが。
アニェスは二人の子、SybilleシビラとBaudouinボードゥワンにうんざりしていた。
この二人の子供が王国安泰の切り札となるはずだった。

ナヌー?自分の子供にうんざり?
うーん、まあ、血を分けた親子兄弟でも富や権力の為に殺しあったりする時代だったから、それもありかぁ。
当時、ノーブルな家庭では、実際に自分の手で子供を育てなかっただろうし。

一度成立した結婚だったが、エルサレム宮廷はアニェスを離縁しなければ、
王に就かせないとアマルリックにせまる。
アニェスは、William of Tyre/Guillaume de Tyr(偉大な騎士らしい。また後程調べてみます。)の邪魔をしているだの、人格的に問題がある(ここで引き合いに出されていた“Ernoulエルノウルの伝説”も何だか不明、調査必要。)だのと
非難されていたのだが、これ等は彼女を陥れようとする輩の根も葉もない噂だったらしい。
アマルリックと彼の側近達はもっとより外交的な結婚をした方が、エルサレム王国の利益になると信じていたようだ。
そして、1162年に離婚が成立し、アマルリックは王座に就く。
アニェスはJaffaジャファとAscalonアスカロンの伯爵夫人の地位を持ち続け、領土の“上り”から年金も受け取る。
ほどなく彼女は、 アマルリックと結婚する前に婚約していたHugh of Ibelin/Hugues d'Ibelin と結婚する。

ナヌー?初めはアマルリックが好きだったのではないの?
で、また例の家系図によると、1157年にユーグと結婚して、アマルリックとは1158年に結婚したことになっている・・・・。
あれぇ?ユーグが先?(資料によって年号が異なっていて、困ったものだ・・・。)

教会はシビラとボードゥワンの二人を認知、その王位継承権をも保障することを承諾。
これにより、アニェスはその後約20年に渡って、エルサレムで絶大な影響力を保持し続けた。
離婚は後に、様々な火種となった、特に、娘シビラは。
異母妹イザベラ派が“認知”は認められないと主張、王位継承権を巡って、争うこととなった。

アマルリックは東ローマ帝国ことByzantineビザンチンの皇女Maria Comnenusマリア・コムネノスと再婚する。
結婚にこぎつけるまで、2年を要した。
望んだAntiocheアンティオキアの東ローマ帝国からの返還は果たされなかったが、
1167年に晴れてTyrティールで結婚する。
そして1170年に生まれたのが、Isabellaイザベラである。

Wikipedia英語頁を意訳。

何だか、ドラマだな、このシビラvsイザベラって。
誰か、映画作ってよ!
“十字軍の女たち”っていう本があるけれど、
それにはこの二人のストーリーは含まれているのかな?
・・・イザベラについては勿論だが、Guillaume de TyrやChronicle of Ernoulについてや、東ローマ帝国とエルサレム王国の力関係等、
またまた課題。

・・・十字軍話が増えてきたし、今後も増えそうなので、
カテゴリを新たに作っちゃった。
[PR]
by micak | 2005-06-24 07:12 | 十字軍
家系図Ⅰ。
また家系図サイトを見つけたので、ちょっと整理。

エルサレム国王Amaury(Amalric)Ier de Jérusalem(1136-1174)
   ・1158年にAgnès de Courtenay(1133-1184)と結婚、
    SibylleとBaudouin IVを儲ける。
    ・1168年にMarie Comnène(Maria Comnenus)(1154-1217)と再婚。
  彼の結婚には、政略やら物議色々あった模様。
 ①-a)Sibylle de Jérusalem(1159-1190)
   ・1176年モンフェラ候GuillaumeVI de Montferrat(1150-1177)と結婚、
   BaudouinV Le Petit Roi(小さなボードゥワンⅤ世)(1178-1186)を儲ける。
   ・1180年にギイ・ドゥ・ルジニャンGuy de Lusignan (1159-1194)と再婚。
 ①-b)Baudouin IV le lépreux(1161-1185)
    “lépreux”というのは、ハンセン病の、という意味。
    あら?シビラはお姉さんなのね・・・。

Barisan d'Ibelin(1100?-1150)
   ・1130年?にHelvis de Ramaと結婚、3男2女を儲ける。
 ②-a)Hugues d'Ibelin(1132?-1170?)
    ・1163年にAgnès de Courtenayと結婚
 ②-b)Baudouin d'Ibelin(1130?-1187)←彼は次男のはずだから、この生誕年はおかしいなぁ。
    ・1155年にRichilde de Bessanと結婚
    ・1175年にIsabelle Gothmanと再婚、3人に子供を儲ける。
 ②-c)Balian d'Ibelin(1150?-1193)
    ・1177年にMarie Comnèneと結婚、4人の子供を儲ける。

バリアンⅠの奥さんの叔父さんがGodefroy de Bouillonっていうことかな?
エルサレム王国の紋章マークは、アンジュー家と同じ。
蛇足ながら、先代のベルギーの国王の名前はそう言えばBaudouinIだった・・・。

くたびれるリサーチなので、その他の人々についてはまた後ほど。
因みにこの家系図サイト、欧州のものばかりではなくて、日本のやLOTR指輪物語のまであって、
そんなこんなと寄り道するものだから、
ますます面白くて、時間を食う・・・・。
[PR]
by micak | 2005-06-09 09:55 | 十字軍
“公式完全ガイド”とビール。
KOHの“公式完全ガイド”なるものをちらっと見た。
うーん、今までネットで調べてきた様々な事柄がまとめてどーんと書いてある。
なぁんだ、こんな事だったら、このガイド本を初めに入手してしまえば良かったのだ・・・
・・・・とは、あまり思わない。
ガイド本はあくまでざっとしか書いていないし(そりゃそうだよね、歴史書じゃないのだから)、
自分で調べたのも、あくまで興味の赴くまま、楽しくてやっていたワケだし、
“?”な部分もちょっと目に入ってしまったし・・・・。

その“?”な所・・・・・
“ゴドフロワ・ドゥ・ブイヨン”の名前が登場しながら、
“ゴッドフリーに相当する歴史上の人物は居ない”云々とあった。
“ゴドフロワ・ドゥ・ブイヨンGodefroy/Godefroi de Bouillon”の英語読みは、
“Godfrey of Bouillon”で、昨日も言ったが、
“ゴッドフリー”の名は、ここに由来するのでは?
少なくとも、“ゴッドフリーに相当する歴史上の人物は居ない”と書いてしまうのはどうなのかな・・・・?
まあ、(歴史書じゃないのだから)いいか・・・。
・・・はいはい、分かりました、さっさと歴史書、買います・・・・。

え?あのバリアンが殺した司祭って兄弟だったの?
・・・でも、実際はバリアンの二人の兄、HuguesとBaudouin(あら、エルサレム王と同じ名前!こういうのがあるから、ややこしくなってしまうのだろうな。)もちゃんと十字軍の騎士として活躍しているから、
弟にさっさと殺されてしまうというのもまた、フィクションか・・・・。

ところで、ゴッドフリーでまた波乗りしていたら、
ベルギービールのサイトにたどり着いた。
Bouillonって美味しいビールの産地らしい。
d0032633_347387.gif

嗚呼、ベルギービール飲みたいっ!!

それに、ここってランスReimsも近いから、
“シャンパンとビールを飲み巡る幸せな飲兵衛の旅”なんていうのも、いいなぁ♪
[PR]
by micak | 2005-06-06 03:51 | 十字軍
Godfrey。
まだ続くよ、十字軍。

今回の話は、またまた渋くて素敵なリーアム・ニーソン演じる、ゴッドフリーGodfrey。
Balianの父は実際はBarisanもしくはBalianⅠという名であって、
このGodfreyというのは、別人。
ところが。このGodfrey of Bouillonという人物は、大変なのである。
第一回十字軍遠征の際、大活躍をして1099年にエルサレム王国を打ち立てたのが、彼。
エルサレム王に弟ボードゥワンⅠBaudouinを据え、自分は事実上の統治者になったらしい。
d0032633_8315743.jpg

このゴドフロワ・ドゥ・ブイヨンGodefroy(Godfroi) de Bouillon、なんとかのシャルルマーニュ(カール大帝)Charlemagneを祖先に持つらしい。
で、“伝説の人”となり、
その精神はダンテの“神曲”のネタとなり、
彼の祖父はワーグナーのオペラ“ローエングリン”のネタとなった・・・・
って、そりゃ大変、第一回十字軍遠征と彼について調べだしたら、また何年も掛かりそう・・・・。

因みにこの第一回十字軍遠征が、数少ない成功したと言える遠征の一つ。
(つまりその他は大体失敗している。)
約7万ものムスリムを虐殺し、その暴虐無人な蛮行を、先のローマ教皇ヨハネ・パウロⅡが詫びたのは、
記憶に新しいところ。

映画に話を戻すと、まあ、主人公の父の偉大さや影響力を強調する為に、
伝説の英雄の名前を拝借したってことなんでしょうねぇ・・・。
[PR]
by micak | 2005-06-05 06:34 | 十字軍
聖ヨハネ騎士団の服装。
えーと、先日のトレードマークの疑問について。
どうやら、黒地に白クロスというのは普段の僧服、
で、戦闘モードに入ると、赤地に白クロスとなったらしい。
で、この写真にも納得。
d0032633_6382248.jpg


うー、本が読みたいっ!!
[PR]
by micak | 2005-06-02 06:40 | 十字軍


Remarque!

★メインサイト、
Mica's Websiteはこちら!


UNICEF for Children;
Unite against AIDS Campaign

チームマイナス6%に参加しましょう!






Villarreal C.F.
Arsenal
Kimi
Stéphane
最新のトラックバック
三月の雨/三月の水
from オン・ザ・農道。
ブログ消滅!?ココログ終..
from ココログ終了のお知らせ!?
「宮廷画家ゴヤは見た」(..
from シネマ・ワンダーランド
冬の旅行
from 冬の旅行
開花する・・・・?
from Mot, Palavra, ..
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ライフログ
カテゴリ
タグ
(104)
(85)
(85)
(67)
(60)
(45)
(42)
(41)
(35)
(34)
(33)
(28)
(27)
(25)
(23)
(18)
(17)
(14)
(12)
(11)
以前の記事
フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧