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寒い!
by 札幌窓辺のねこ
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コピー、イミテーション好き?
コピー、イミテーション好き?_d0032633_719461.jpg某クレジットカードから毎月請求書と共に送られてくる月刊パンフレットを見ていて。
大塚国際美術館の紹介が載っていた。
・・・・・・。
コレってどうなのだろう?



そのコレクションの全てが陶板によるコピー。
一枚仕立てのカンバス絵画のみならず、
原寸大なヴァチカンのシスティーナ礼拝堂やらパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂
パリ・オランジュリー美術館のモネの大睡蓮やら・・・・。
これは確かに凄い!
作るのにさぞ様々な手間隙と技術が必要だったろう。
だが、コピーはコピー。

5年前のヴァカンスで北イタリア巡りをした際、パドヴァも訪れた。
勿論、目的はこのスクロヴェーニ礼拝堂のジョットである。
クリスマスの夕暮れ時、礼拝堂を訪れたのは自分一人だった・・・・他に誰も居なかった・・・。
(予約制なので、その時入場したのは一人だったという事。)
ただ、美しかった。
空(天井)のその透明な蒼は吸い込まれる様に深く、
まるで宇宙の様な、深海を漂う様な不思議な気分になった。
そこに煌く星の如く、或いは鈍く光を放ちながらゆったりと泳ぐ魚の如く点在する聖人達。
何時までもその空間に身を漂わせていたい・・・・。
引力を失って浮遊していると、係員に“時間だ”と言われ、ふと現実に引き戻される。
外に出ると、朱に染まった冷え切った空気が頬に心地良かった・・・・。
この玉手箱の様な小さな礼拝堂は、ルネサンスの当時から人々に小宇宙を見せてきたという訳だ。
それは単なる信仰の場という域を超越している・・・。
コピー、イミテーション好き?_d0032633_720253.jpg
 パドヴァの守護聖人、聖アントニオの祭られた教会。沢山の人々が欧州中からお参りに来る。
聖アントニオはなんとリスボン出身のポルトガル人!
イタリアとポルトガルの繋がりを発見できて嬉しい♪


システィーナ礼拝堂も然り。
此処は兎に角圧倒される。そのスケールの大きさに。
余りに圧倒されてしまうものだから、初めはよく見えない。
だが、慣れてくると此処もできれば床に寝そべって、何時までも観ていたいと思う。

大塚国際美術館には無い模様だが、
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のダ・ヴィンチの“最後の晩餐”もそうだ。
これは360度展開な絵ではないが、その前で死にたくなる・・・・。

・・・果たしてこの大塚美術館のコピーでも、その様な体験ができるのだろうか?
こうした礼拝堂や教会や修道院のフレスコ画というのは、その建物の壁や天井に直接描かれている。
最近の高度な技術によって、保存の為に薄く剥がして美術館に移されている物も少なくないが、
基本的に壁画は建造物と一体である。
一つの教会なり礼拝堂なり修道院なりが建造される時、
多くの人々がそのプロジェクトに携わり、フレスコ画家もその一員として仕事をするのだ。
“信仰を超越”とは言ったが、その芸術性が超越しているという事であり、
やはりそれ等が存在しているのは“祈り”の場である。
静まり返った神聖な空気と相まって壁画達がより輝き、見る者の心を打つのである。
ミサの為に、懺悔する為に、或いは祝ったり・弔ったりする為に人々は教会へ行く。
神妙な心持で重い大きな扉を押し開け、水で十字を切り、
薄暗い中い跪き、香と蝋燭の匂いに心を沈め、祈る。
そしてふと目を上げると、その薄暗がりの中に美しい絵がぼうっと浮かび上がってくる・・・・。
そんな空間。
“其処に行く”という事が重要なのだ。
ただ一枚の絵を眺めるだけではない、移動と時間の経過と空間と心の動きが伴う、もっと総合的なもの。
そこに壁画は組み込まれている。
オペラが総合芸術なのと共通するかも知れない。
・・・その壁画だけコピーして貼り付けてみても、その空気感は果たして出せるものなのだろうか?

いや、勿論この大塚美術館には行った事が無いので、実際どうなのかは知る由も無い。
だが、どうも日本はコピーが好きなのか、と思ってしまう。
ハウステンボス?ディズニーシー?
そうでなくても日常的に身の回りにもコピーやイミテーションが多い様な気がする・・・。
ハウステンボスやディズニーランドに行く資金があったら、欧州に行く方が良いと思っているので、
どちらも未踏、なのであれこれ言う資格は無いのかも知れないが。
コピーでもイミテーションでもそれで夢が生まれるのは一向に構わない。
それをきっかけに本物を見たいという夢が生まれるのは。
だが、それだけで満足して誤魔化してしまうのなら、それはとても寂しく貧しい事だ・・・・。
まあ、尤も日本人は昔から“真似”が得意で、そこから多種多様な素晴らしい物を産み出してきたし、
何事もまず初めは真似からなので、否定している訳ではないのだが。
いや、こうして考えてみると“真似”と“コピー”は厳密には違うと思う。
“真似”はあくまでアナログな世界で、その後何らかの変化を遂げる可能性を秘めている。
オリジナルへの変容の可能性も在る。
だが、“コピー”はその場限り・それっきりで終ってしまい、何の発展性も無い。

そんな事をこのパンフレットを見て思った次第である。
大塚国際美術館さん、気を悪くしたのなら、御免なさい。
by micak | 2008-04-15 04:20 | アート
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